謹賀新年 2021

新しい年になりました。
昨年は、コロナ一色の厳しい一年でしたね。
しかし、万物は常に変化して留まることはありません。
早くこの災禍が終息して、安心して生活できる時が一日も早く来るようにしたいですね。

昨年の我が家は、梅雨明けから母が体調を崩し、入退院を繰り返していたので、怒涛の半年間でした。介護生活になってから病院にお世話になるということがなかったので、非常に心配でしたが、物は考えようで、これは新年を迎えるにあたり、今まで溜まっていた厄を落としているのだと、ポジティブに捉えるようにしました。

その様なわけで、正月の生花には、長寿の象徴である松(写真は五葉松)と難を転じる意味がある南天を取り入れて、願いを込めて、いけてみました。
我流の生け花なので、いけ方がおかしいかもしれませんが、そのあたりはご容赦ください。

ところで日本人は、いつ頃から生け花をするようになったのでしょうか。
少々気になったので、ネットで調べてみました。

現在ある大きな流派のホームぺージを見てみますと、その起源は諸説あり、①仏前供花(仏教伝来と共に) ②神事の依り代(日本古代の習俗として) ③観賞(貴族の観賞用として)としています。
そして、いけばなとして成立したのが室町時代中期で、『寛正3年(1462)池坊専慶が挿した花が評判となったと東福寺の禅僧の日記「碧山日録」に記されており、これにより日本独自の「いけばな文化」が成立した』そうです。

池坊専慶の登場
そうした中、寛正3年(1462)、六角堂の僧侶・池坊専慶が武士に招かれて花を挿し、京都の人々の間で評判となったことが、東福寺の禅僧の日記「碧山日録」に記されています。座敷飾りの花や専慶の花は、仏前供花や神の依代といった従来の枠を超えるもので、ここに日本独自の文化「いけばな」が成立したということができます。

引用元:池坊_いけばなの成立

こうして始まった「いけばな」は、時を経て、現在では数えきれないほどの流派があり、その中でも、池坊、草月流、小原流が三大流派として有名です。

私の友人は古流かたばみ会でいけばなを学んでいますが、毎年、松屋銀座で開催される古流協会展には、何度か足を運んだことがあります。
いけばなの理論など難しいことはわかりませんが、同じ花材でいけてもそれぞれ個性があり、また生花だけでなく食材を花材として使用したり、花を一切使用しないいけばななどもありで、観ているだけでとても楽しかったです。

花は気持ちを華やかに、そして豊かにしてくれます。
たまには、難しいことは考えずに、思うままに、好きな花をお家でいけてみませんか?



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