鬼谷子(ドラマ)

BS12で、放送していた中国の歴史ドラマ。(放送は既に終了しています。)
秦が中華統一を果たす少し前の周王朝末期、六国の王が主導権を握るべく、覇権争いをする中で、過酷な運命に呑み込まれた男が、己の知力と弁舌のみで、運命を切り拓いて行く物語です。
かの有名な孫子と並び称される鬼谷子は、歴史的資料が僅かで、本名さえ定かではなく、実在していたかも疑問であるそうです。
ちなみに、孫子、鬼谷子の「子」は、先生と言う意味で、孫子は、孫武が本名です。

全52話で、大きく前半(主人公の王禅が魏の国の宰相となるまで)と後半(王禅が変法を成し遂げるまで)に分かれるこのドラマの面白さは、孫子の兵法書を巡る、正体不明の敵との激闘や覇権争いと変法を巡り、敵味方同士間で交わされる駆け引きです。
前半の見えない敵との攻防戦は、テンポがよく、ハラハラドキドキしながら視ていましたが、後半は、敵の正体が判明した分、ハラハラ感は薄まり、ややテンポが落ちたようなってしまったのが残念でした。また、主人公の王禅がなぜそこまで変法に拘り、推し進めたかったのか、という理由付けが少々弱かったのでしたが、全体的には、十分に楽しめた作品でした。

孫子の兵法と異なり、鬼谷子は戦うためではなく、相手を説き伏せたり、離間させたりして、覇権を勝ち取ることを得意とした策士なので、ドラマは戦場ではなく、朝廷でのシーンが多かったです。
似ても焼いても食えない相手との駆け引きや、己が劣勢であるかのように相手に思わせながら、既に勝つための策を巡らしている主人公の権謀術数は、気楽に視るというより、息を止めて真剣に視てしまう内容でした。

この話の中で、特に印象的だったのが、楚の国から、それぞれ心身ともにぼろぼろになりながら、別々に故郷の魏の国に帰り着いた王禅と姮娥(こうが)が、かつて共に育ち、平穏に暮らしていた学堂で再会する場面では、セリフなしの時間が約5分近くありました。
普通、波乱の末に、再会を果たす事ができたのなら、すぐにでも互いに言葉をかけ合うのではと、凡人は思うのですが、劇中では、自分( 姮娥 )を見つけ近づこうとする王禅から、姮娥が身を隠そうとするやり取りが何回かあります。結局、王禅は追うことを止めて、姮娥自身が王禅に会う気持ちになるまで、待つことにします。その間がセリフ、OSTなしの5分間です。

確かに、これまでの出来事が過酷であればあるほど、声を掛け合うことは、その場面の緊張感を弱めてしまい、2人の心情が視聴者に伝わらないかもしれません。
互いに起きた非情な出来事と、苦難の末に逢えたのに、運命に翻弄されすぎたが故に、素直に会えない心情を、セリフなしの動作と表情のみで表現しきったこの2人の俳優には脱帽ものでした。

このドラマで、最後に王禅は、魏の国で変法(奴隷開放などの身分制度改革、土地改革、税制改革など)発布を成し遂げるのですが、彼が抱いた大志は、その後どのようになって行ったのかは、それぞれの判断にお任せします。

果たして、現代は、彼が志していた世の中になっているのでしょうか。

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